『日本書紀』『古事記』における他者表象の考察:異文化交流とアイデンティティを多角的に読み解く
はじめに
『日本書紀』や『古事記』は、古代日本の国家形成や思想を知る上で極めて重要な文献であります。これらの史書は、神話や伝承、そして歴史的記述を通して、古代の人々が自己をどのように認識し、世界をどのように捉えていたかを示す貴重な資料群であるといえます。本稿では、特にこれらの文献に描かれる「他者」の表象に焦点を当て、そこから読み取れる異文化交流の様相や、古代日本における自己アイデンティティの構築過程について、多角的な視点から考察いたします。
『日本書紀』『古事記』に見られる他者の種類と描写
『日本書紀』や『古事記』において「他者」として描かれる存在は多岐にわたります。地理的に隔絶した辺境の民、例えば隼人(はやと)、蝦夷(えみし)、クマソなどは、しばしば朝廷に反抗する存在として、あるいは異質な風俗を持つ者として描かれます。彼らは武力によって制圧される対象であると同時に、朝廷の権威を示すための存在として物語に登場します。
例えば、『日本書紀』景行天皇紀には、クマソタケルの反乱とその討伐の様子が詳細に記されており、ヤマトタケル(日本武尊)の英雄性が際立つ一方で、クマソタケルは蛮勇を振るう「異民族」として描かれています。また、蝦夷についても、『日本書紀』において「性質強くして荒き」と評されるなど、中央から見た未開で野蛮なイメージが付与されていることが分かります。
一方で、渡来人に関する記述も見られます。中国や朝鮮半島からの渡来人は、文字、技術、文化などを日本に伝えた存在として描かれることが多く、その貢献が肯定的に評価される側面もあります。例えば、『古事記』応神天皇記には、百済から阿直岐(あちき)や王仁(わに)が渡来し、経典や文字を伝えたことが記されており、彼らは文化的な先進性をもたらす者として描かれています。しかし、こうした渡来人に対しても、彼らが日本の支配体制の中にいかに組み込まれていくかという視点も含まれており、単純な賛美にとどまらない複雑な他者認識が見られます。
他者表象の機能:支配、統合、そして自己規定
これらの他者表象は、単に当時の地理的・民族的状況を記録しただけでなく、古代日本の国家形成やイデオロギー構築において重要な機能を有していたと考えられます。辺境の民を「未開」や「反抗的」に描くことは、中央たる大和朝廷の「文明」や「正義」を相対的に際立たせ、その支配の正当性を確立する上で効果的であったといえます。異質な他者を設定し、それを征服・同化する物語は、中央集権国家への歩みを進める上での重要なプロパガンダたり得た可能性も指摘されています。
同時に、これらの物語は、ヤマトを中心とする人々の自己アイデンティティを規定する役割も果たしました。自分たちが「何者」であるかを定義するためには、「何者でないか」を明確にすることが有効である場合があります。辺境の民や外国からの渡来人を自己とは異なる存在として描くことで、ヤマトを中心とする人々の共同体意識や文化的な境界線が形成されていったと考えられます。
また、他者との交流は、新しい文化や技術の導入という側面も持ち合わせており、渡来人の描写はその受容の過程を示すものです。ただし、その受容の描写においても、単に優れたものを無批判に取り入れるのではなく、いかにそれが日本の枠組みの中で再編成され、統合されていくかという視点が含まれている点は注目に値します。これは、外来文化を取り入れつつも、独自の文化を維持・発展させようとする古代の人々の意識を反映しているのかもしれません。
現代の批評理論からの視座
『日本書紀』『古事記』における他者表象を読み解くにあたっては、現代の批評理論、例えばオリエンタリズムの概念などを援用することも有効です。エドワード・サイードが提唱したオリエンタリズムは、西洋が東洋を「異質」「神秘的」「遅れている」といったステレオタイプに基づいて表象することで、自己(西洋)の優位性を確立し、支配を正当化する構造を分析したものです。この概念を類推的に適用すれば、『日本書紀』『古事記』に見られる辺境の民の表象も、中央(ヤマト)が辺境を「異質」「未開」に描くことで、自己の優位性や支配を正当化しようとする構造と読み解くことができるかもしれません。これは、中心と周縁という権力構造が、どのように文学的な表象に反映されるかを示唆する視点といえます。
また、ポストコロニアリズムの視点から、被支配者側の視点を想像的に補完しようとする試みも考えられます。史書は基本的に支配者側によって編纂されるため、辺境の民や渡来人の声は直接的に記録されていません。しかし、わずかに残された記述の行間や、彼らの反乱といった事象そのものから、抵抗や独自の文化に対する誇りといった側面を読み取る可能性を探ることも、多様な解釈を追求する上で重要なアプローチとなるでしょう。
結論:多様な読み解きへ向けて
『日本書紀』『古事記』における他者表象は、単なる客観的な事実の記録ではなく、編纂当時の政治的・文化的背景や、編纂者たちの意図が強く反映された構築物であるといえます。そこには、大和朝廷による支配領域の拡大と、それに伴う自己アイデンティティの確立という歴史的プロセスが色濃く投影されています。
これらの他者表象を読み解くことは、古代日本が自らをいかに定義し、他と区別し、あるいは他を取り込もうとしたのかを知る手がかりとなります。そして、現代の批評理論を援用することで、古代のテキストに新たな光を当て、支配と被支配、中心と周縁といった今日にも通じる権力構造や、ステレオタイプ化された他者認識の問題を考察することも可能となります。
『日本書紀』『古事記』の他者表象を巡っては、単一の解釈に留まらず、歴史学、人類学、文化研究など、様々な学問分野の知見を取り入れながら、多角的な視点から考察を深めていくことが求められます。こうした探求は、古代のテキストを通して現代社会における他者理解の問題について考える上でも、示唆に富むものであると考えられます。皆様におかれましても、これらの文献を改めて紐解き、多様な「他者」の姿から古代の人々の思考や営みに思いを馳せてみてはいかがでしょうか。